top of page

交通税は廃案を!!

交通税反対の理由



最近、滋賀県内で「交通税を導入し、交通インフラの足りない地域に財源を回すべきだ」と主張する市議会議員の方がいらっしゃると伺いました。

 

しかし、これまでも繰り返し申し上げている通り、私はこの交通税には明確に反対です。

なぜなら、「交通税があれば万事解決」と考えるのは、あまりに短絡的であり、県民に新たな負担を課し、将来にわたって負の遺産を残しかねないリスクの高い政策だからです。


 

■「交通税で解決」は、あまりにも安易すぎる

まず前提として、「地域交通の不便さに何らかの支援が必要だ」という点には、もちろん理解があります。特に高齢者や交通弱者の移動手段、買い物や通院の足の確保は大切です。

しかし、その課題を解決する手段が、いきなり「新税の創設」である必要があるのでしょうか?「誰もが行きたい時に行きたい場所へ行ける、車なしでも暮らせる社会を目指すべき」といった理想論を掲げる滋賀県ですが、その構想が本当に持続可能なのか、財政面や将来世代への負担を冷静に見つめているとは言い難い状況です。


「公共交通はインフラだから支えるべき」という事を支持するにしても、この田舎の滋賀では行きたい時に行きたい場所へではなく「生活に必要な移動が出来る」の範囲くらいでなければ本当にその事業経費や投入される税額は恐ろしいことになりますよ。


冒頭の交通税支持の議員も、何故交通が助かるかどうかだけの視点、手に入るものだけの視点で交通税を見るのか。


「交通税があれば何とかなる」と楽観的に語る前に、その事業が将来どうなるのか、仮に交通網を整備しても利用が伸びず、将来的に赤字が膨らんで撤退せざるを得ない、いわゆる「負の遺産」になるリスクを真剣に考えるべきではないでしょうか。

現に全国の地方自治体では、整備されたバス網や地域交通が利用されず、毎年赤字を積み上げている例が数多く見られます。



■そもそも「交通税がないとできない」のか?

ここで立ち止まって考えていただきたいのが、

「交通インフラの整備は、交通税という新たな税を導入しなければ本当にできないのか?」

という根本的な問いです。

 

実際には、滋賀県の既存予算の中で、優先順位を見直すことで十分に財源を確保できる余地があります。たとえば、過去の補助金事業、費用対効果が不明瞭なプロモーション活動、成果の見えにくいイベント関連予算など、見直すべき対象は多く存在します。

 

それらに一切手を付けることなく、新たな「交通税」を導入するのは、行政としての自助努力を放棄するものであり、県民への説明責任を果たしているとは言えません。

 

例えば、お子さんに「お小遣いが足りないから増やしてほしい」と言われたら、親としてまず「何に使っているの?」「今の額で足りない理由は?」と聞くはずです。内容によっては納得もすれば、首をかしげることもあるでしょう。税金という「預かりもの」に対して、なぜ安易に「増やせばいい」という話になってしまうのでしょうか。


私達とて、使い道とその額に正当性があると思えば、反対しませんが、その明確な判断材料が、単に「歳入と歳出」、つまり金額以外には県から説明されていません。


 

■「県民税の増税」でも本質は変わらない

今回は「交通税」という形で提案されていますが、仮にこれが「県民税の引き上げ」や「事業税への加算」であったとしても、増税なのは同じです。新しい名前が付かない分だけ、ややマシではありますが。

 

その発想の延長線上には、財政規律の緩みや、バラマキ型のポピュリズムの蔓延が待っています。それが積み重なれば、滋賀県、さらには日本全体の財政や経済、幸福感を脅かしかねません。

 

 

■県民も議員も、未来を見据えた賢明な判断を

最近、数名の県議の方々とお話しする機会がありましたが、交通税廃案が相当であるというご意見を共有いただいたことに、少しほっといたしました。

 

もちろん、これまでの行政に対して「必要な支援が行き届いてこなかった」と感じる県民の皆さんの不満や不信感には理解があります。しかし、だからといって「足りないなら新税でまかなえば良い」と結論づけるのは、また同じ過ちを繰り返すことになりかねません。


県民の生活に真に資する交通政策を進めたいのであれば、まずは既存の財源を見直し、徹底した効率化や歳出削減を図るのが筋ではないでしょうか。


どこまでも課税で県民・国民に負担を与えても、助け合いだから当たり前と思う議員は、不要です。助け合いを否定しているわけではなく、私たちはさすがにそれにも限度があるだろうと言いたいのです。高齢者や子ども、心身の課題を抱えている方々を支えている現役世代が疲弊し手元のお金がない世の中では、社会を支えられません。高齢者になった時に自分を支える貯金が残せません。家族や民間事業者、社会の組織が担ってきた分野や事業を、市場化することなく政府化、行政化すればもうそれは社会主義であり、行政が助ける事業が強ければ強いほど、税金は足りなくなっていくのです。


その「課税の限度」をいつ感じるか?

ここ最近で全国に流れ始めた減税世論で解るでしょう。


今だ、と。



 

 

 

まとめ:「改革」なくして未来なし。交通税は廃案を!

「交通税があればすべてが解決する」という主張は、現状の課題の本質を見誤っています。必要なのは、課題を丁寧に洗い出し、限られた財源の中で何ができるかを見極める、誠実で堅実な行政の姿勢です。

新たな税を導入することは“正義”ではなく、それらばかりが”便利”を生むわけではありません。

  

滋賀県や議員が本当に住民に寄り添い、持続可能な未来を築くつもりであるならば、賢明に、地域の課題と様々な視点から向き合う姿勢を持つべきだと、私は強く願っています。


Comments


bottom of page