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交通税廃案を望む声と、「全員救済」の罠 ――持続可能な交通政策とは何か?




「誰もが、行きたいときに、行きたい場所へ」――それは誰もが理想とする社会のあり方かもしれません。しかし、その理想を完全に実現しようとすることが、果たして本当に私たち全体の幸せにつながるのでしょうか?本記事では、「交通税廃案」という主張が必ずしも交通弱者を切り捨てるものではないという立場から、持続可能な交通政策のあり方について考えてみます。



交通税の目的と問題点


現在議論されている「交通税」は、交通インフラの維持や交通弱者支援のために導入が検討されている新たな財源です。その表向きの目的は、公共交通の維持や地方の高齢者・障害者の移動支援。しかし、見逃せないのは「財源ありき」の発想です。


そもそも、税金というのは国民や県民から徴収され、委託されて行政や国が使用する預かり金のようなものであり、使い道には厳密な優先順位と事業の持続性が求められます。交通インフラ維持の必要性は当然理解できますが、果たして新たな税を課すほどの大きな計画とその影響が未来にわたってどうであるかは、十分に熟慮する必要があります。


交通税に反対されるある県議(複数)も同様におっしゃっています。

「滋賀県の交通ビジョンは、交通税のために作っているような、行き過ぎた政策である」と。



「全員を守る」政策がもたらすリスク


滋賀に住む誰もが行きたい時に行きたい場所へは持続不可能

現代社会では、「誰一人取り残さない」というスローガンが支持を集めやすい傾向にあります。しかし、それをそのまま交通政策に当てはめると、かえって全体にとって不利益をもたらす恐れもあります。


例えば、山間部の過疎地域に1名だけで住んでいる高齢者のために、毎日バスを運行させるとしましょう。そこにかかる人件費、車両費、燃料費……それらは結局、全国民が負担することになります。その時はさすがに多くの方々が言うでしょう。


「その人が引っ越せばよい。いくら思い出のおうちであっても・・・」と。

でも、それ以上の人が住んでいるなら引っ越せなんて簡単には言えない。つまり、どこかにバランスを取るためのポイントが存在しているのです。でも本当に「ぽつんと一軒家」に住む人であっても「誰もが行きたい時に(略)」なんて言ってたら、本当に税金は足りません。



限られた予算をすべての地域に等しく配分しようとすれば、結果的にどの地域にも福祉の分野にも、中途半端な支援しか届かなくなるならそれも問題ではないでしょうか。


日本は少子高齢化が進み、いずれ多くの地域で「コンパクトシティ化」が進むと考えられています。つまり、都市部に人が集まり、生活に必要な機能が集約されていくという流れです。


この流れを無理に進めようとする必要はありません。でも止めようともするのではなく、現実として受け入れ、限られた資源をどう再配分するかを考えることが大切です。もちろん「引っ越せばいい、自己責任だ」等と簡単に言うつもりは一切ありません。しかし、せめて「生活に必要な移動は最低限守る」「それ以外は地域ごとに必要な政策として行う」という現実的なラインでそこを見極めながら計画することが必要ですし、将来の滋賀がどうなるか誰も見通しきれないのに交通ビジョンを広げるのはあまりにも危険なのです。



財源の工夫と優先順位の見直し


交通税を新たに設けなくても、既存の財源をやりくりする方法はあります。たとえば、公共交通よりも明らかに優先順位が低いと思われる事業の見直しや、非効率な補助金制度の改革。ITやAIを活用したスマート交通システムへの移行なども有効な手段です。


また、「誰を、どのくらいどのように支援するのか」の優先順位を明確にすることで、限られた予算でもより多くの人にとって意味のある支援が可能になります。交通に贅沢なお金を使わないなら、他の事にも使えます。交通税を取られないなら、それを自分の自由に使うことも出来ます。


もし国の政策の為に削れない事業や予算もある、というのであれば、国の政策の改革も必要でしょう。すべてのことには、調整が必要です。無駄な事業なんてないという人がいれば、それは、本気で行政事業や国の事業をチェックしたことがない方だけだと思います。

税金は、想像する以上に無駄に使われています。

 


実現可能な目標を目指すということ


例えば甲賀市は草津線の減便に困っている人はいるでしょう。

でもその人たちを救うために県からのお金をまわしてもらうのに、既存財源でやりくりしようともせずに交通税を新設する必要はないのです。未来に大きな負担を残す選択を、県民も議員もしてよいはずがありません。


「誰もが自由に移動できる社会」は、理想としては美しいですが、実現のためには膨大なコストがかかります。そしてその負担は、将来の子どもたちへと引き継がれていくのです。

だからこそ、私たちは「最低限、生活に必要な移動ができる状況をつくる」ことを現実的な目標として掲げるべきです。それは決して冷たい考えではなく、むしろ全体の持続可能性を考えた「本当に人にやさしい政策」だと思っています。

そこは解っていただきたいです。


少なくとも私たちが反対する理由は、「お金払いたくない!」ではありません。

良い滋賀、良い日本を残したいからです。

たった月1000円だけであっても、それが積み重なって出来たのが今なのです。


税金は大事だと思います。私は少なくとも無税国家派ではありません。

インフラや国防、公安や警察、消防などなどのために税金を徴収すればいいと思っているほうなので(他のメンバーや減税会員のことは知りません)。



しかし、この度重なる増税で、日本はよくなりましたか?

政府や行政の想像した通りに日本は発展し、経済は動いていますか?

日本は良い国です。

でも、だからといってすべてが正しいと思うのも、違いますよね。

大好きな国だからこそ、良くあってほしいから、正しい政治をしてほしい。

政府や政党や政治家を支持するのではなく、だめなことはダメと言い、

良いことは良いという。必要なこととそうでないことをしっかり考える。

それこそが、愛国心であり、隣人愛であり、福祉に繋がると思います。




まとめ

やさしさとは、未来への責任を持つこと。


交通弱者への支援を否定するのではなく、その支援を「どこまで」「どうやって」行うのかを現実的に見直すこと。そして既に税金が高すぎる今、既存財源でやりくりしないと、それこそ持続不可能になるであろうということです。

すべての人を等しく助けるという理想の裏で、私たち全体が背負うことになる負担。そのバランスをどう取るかこそが、今後の交通政策に問われているのです。

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