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滋賀県立美術館、47億円を蹴って100億円へ至る15年の迷走

この記事の要約

世界的建築家SANAAの設計案を「47億円を超える」として2018年に凍結した滋賀県が、その後の暫定改修に11億円を投じ、現在は約100億円規模の新たな増築計画を進めています。同じSANAAが設計した金沢21世紀美術館は年間150万人超を集める成功事例ですが、滋賀の来館者数は年間わずか7万人台。「安く抑えようとした結果、倍以上の費用になった」という15年にわたる迷走の記録です。

 

 


 

滋賀県立美術館(旧・滋賀県立近代美術館)の建て替え・改修計画は、2012年の構想開始から2032年の再開館予定まで実に20年を要する日本の公共文化施設整備の象徴的な事例である。世界的建築家SANAA(妹島和世氏+西沢立衛氏)に設計を委ね、約47億円で実現を目指した計画が2018年に頓挫。暫定改修に約11億円を投じた後、現在は約100億円規模のまったく別の増築・再整備計画が進行中という、二重・三重の投資構造が生まれている。金沢21世紀美術館(SANAA設計、総事業費約135〜200億円、年間来館者150〜258万人)と同じ設計者を起用しながらその計画を破棄し、最終的に倍以上の費用で金沢とは比較にならない規模の施設を建てようとしている経緯は、公共事業における意思決定と費用管理の問題を鋭く浮かび上がらせる。


 

琵琶湖文化館の休館が全ての発端だった


計画の原点は2008年3月の琵琶湖文化館の休館にある。1961年開館の同館は老朽化と来館者減少のため2008年3月31日をもって閉館し、国宝・重要文化財を含む質の高い仏教美術コレクションの行き場が喫緊の課題となった。

2012年、嘉田由紀子知事のもとで「新生美術館」構想が始動する。1984年開館の滋賀県立近代美術館(設計:日建設計・小角亨、総工費約35億円、延床面積8,544㎡)を核に、新館建設・既存館改修・びわこ文化公園の整備を一体的に行い、3つの柱――近現代美術コレクション、琵琶湖文化館から継承する仏教美術(「神と仏の美」)、アール・ブリュット――を統合する「美の滋賀」の拠点施設とする構想であった。2013年12月に「新生美術館基本計画」が正式に策定された。

 

SANAAが県民投票4位で選ばれた設計者選定の内幕

2014年7月に嘉田知事の事実上の後継者として三日月大造氏が滋賀県知事に就任し、「美の滋賀」構想を継承。同年、設計者選定の公募型プロポーザルが実施された。全国から13者が応募し、第一次審査(書類審査)で以下の5者が通過した。

 

  • 青木淳建築計画事務所

  • SANAA事務所(妹島和世+西沢立衛)

  • 隈研吾建築都市設計事務所

  • 日建設計 大阪オフィス(既存館の設計者)

  • 山本理顕設計工場

 

選定委員会は部会長に布野修司氏、副部会長に伊東豊雄氏という錚々たる布陣。2015年2月27日に公開プレゼンテーション・ヒアリングが行われ、同時に県民アンケートも実施された。注目すべきは、県民アンケートでは青木淳案が最多得票の1位、SANAA案は4位だったにもかかわらず、選定委員会の総合評価で2015年3月17日にSANAAが最優秀提案者に選定された点である。次点は青木淳であった。SANAAの提案は「自然・文化・芸術を巡る庭園美術館」と題し、ニュートラルなボックスを分散配置して複数の回廊でつなぐ回遊式美術館であった。

 

2015年3月中にSANAAと契約が締結され、設計が開始。基本設計が示した主要数値は次の通りである。延床面積12,809㎡(既存館8,544㎡から大幅増)、建築面積8,588㎡、RC造+S造の地上2階・地下1階、最高高さ11.325m、本体工事費約47億円、2019年秋竣工・2020年3月開館予定であった。

 

三日月知事は基本設計から実施設計に至る過程で、県議会に対し施設整備費(本体工事費)の上限を「47億円以内」とすることを約束した。この金額は県と議会の間の重要な合意事項として、以降の全ての判断の基準線となる。正確な合意時期は公開情報からは特定できないが、2015〜2016年頃の設計進行過程で確定したと見られる。

 

 

2017年入札不調から2018年「全面断念」への転落

 

2017年4月1日、近代美術館は増築改修工事準備のため長期休館に入った。5月31日に建築工事の一般競争入札が公告され、8月28日に開札された。結果は入札不落――全ての応札価格が県の予定価格を超過し、落札者が出なかった。具体的な予定価格や応札金額は公式には開示されていない。

 

2017年9月25日の県議会で三日月知事は「大変残念」としつつ、不落の原因として東京五輪関連工事に伴う技能労働者の確保困難、美術館特有の特殊製作品の入手困難、建設資材の高騰を挙げた。県は工事費抑制のため設計見直しに着手。2018年6月29日に見直し案を公表し、建物・公園の工事規模縮小やレストラン棟への民間資金活用を打ち出したが、それでも47億円の上限には収まらなかった。超過額の具体的数字は公式には明らかにされていない。

 

2018年7月25日、県議会7月定例会議で三日月知事が計画の凍結を表明した。知事の発言は明確だった。「設計の見直し案の検討を重ねてきたが、2年後の東京オリンピック・パラリンピックをひかえて、建設単価が高止まりすることが想定される。県民や関係者へご期待に答えるかたちで新生美術館の整備を行うためには、47億円に収めることはできないと判断するにいたった」。

 

8月15日、新生美術館整備室は「一旦、立ち止まる」声明を公開したが、「新生美術館プロジェクトそのものを凍結することとは考えていない」と含みを持たせた。しかし2018年11月29日、県議会11月定例会議で三日月知事は「三つの美」の一体整備を正式に断念した。知事が挙げた理由は3つ。


①整備費が上限47億円を超過し、度重なる設計変更でも収まらなかった

②館長が決まらずプロジェクト推進体制を整えられなかった

③県民の理解を得るための説明が不十分だった

 

SANAAの設計は事実上破棄され、12月11日には「新生美術館」という名称自体も見直しが発表された。SANAAとの契約解除の詳細(設計委託料の総額や違約金の有無)は公開情報からは確認できない。

 

11億円の「つなぎ」改修と保坂館長の就任

 

計画断念後、県は既存館の老朽化対策を先行させる方針に転換した。当初は「2年間で約14億5千万円」と報じられたが、実際の改修工事費は約11億円2020年3月に着工、2021年5月に完了した。

 

改修の中心は作品保全環境の向上(展示室内装の全面張替、LED照明導入)、安全設備の強化(ガス消火設備導入、エントランス天井の耐震化、空調機器更新)、バリアフリー・利便性向上(授乳室・ファミリートイレ新設、トイレ全面改修)、そしてウェルカムゾーンの創出(エントランス周辺の統一デザイン整備、カフェ&ショップ設置、キッズスペース・多目的スペースの新設)であった。デザイン統括・内装設計はgraf(服部滋樹)、VI・サイン計画はUMA/design farm(原田祐馬氏)が担当した。

 

2021年1月1日、東京国立近代美術館の主任研究員だった保坂健二朗氏がディレクター(館長)に就任。「リビングルームのような美術館」を基本方針に掲げた。2021年4月1日に条例改正で「滋賀県立近代美術館」から「滋賀県立美術館」(SMoA)に名称変更。「近代」を外したのは、近代以前の作品やアール・ブリュットも収蔵する実態に合わせるためだった。

 

2021年6月27日、約4年ぶりにリニューアルオープン。開館記念展「Soft Territory かかわりのあわい」(滋賀ゆかりの若手作家12名による全新作)とコレクション展を同時開催した。来館満足度は休館前の77.9%から91.0%へ大幅上昇し、中学生以下の比率も3.8%から9.4%に伸びた。ただし来館者数の絶対値は依然として低迷している。2022年度の展覧会観覧者数は72,523人で、1987年度のピーク192,150人の4割弱にとどまる。

 

 

100億円・2032年再開館という新たな大計画

 

リニューアル後も「利用者数は長期的に減少傾向」という現実を「深刻に受け止め」た県は、再び大規模整備に動き出す。

 

2023年7月〜12月、外部有識者による「美術館魅力向上検討部会」を設置し、課題と方向性を議論。2024年3月に「滋賀県立美術館魅力向上ビジョン」を策定し、「子どもも大人も来たくなる 未来をひらく美術館」を掲げ、既存施設の改修と増築による「第二の開館」を目指す方針を明確にした。

 

2024年度、県は「滋賀県立美術館整備基本計画策定支援業務」の公募型プロポーザルを実施し、2者が参加した中から日建設計が選定された。契約金額は1,054万9,000円(税込)。日建設計は1984年の既存館の設計者でもある。業務内容は基本計画のたたき台→中間案→原案・成果品の作成で、2026年3月31日までの業務期間であった。

 

2025年3月に「整備基本計画骨子」をとりまとめ、2025年12月23日に「整備基本計画(素案)」を公表してパブリックコメント(2026年1月16日締切)を実施した。素案が示す計画概要は以下の通りである。https://www.shigamuseum.jp/news/12261/

 

項目

内容

事業内容

既存施設の改修+増築棟の建設+公園の一体的整備

増築棟の想定規模

3,500〜4,000㎡

改修後の総延床面積

約12,000〜12,500㎡(既存8,544+増築分)

概算事業費

約100億円

設計着手

2026年度(設計者選定支援費4,400万円+設計業務委託費7億2,396万円の債務負担行為)

設計期間

2026〜2028年度(3年間)

一時休館・工事着手

2029年度

再開館

2032年度末


重要な点として、日建設計が担当しているのは「基本計画策定支援」であり、建物の設計者は2026年度に別途プロポーザルで選定される予定である。


 

SANAAの47億円と現在の100億円が突きつける問題

 

この計画の最大の論点は、数字の比較が浮かび上がらせる構造的な矛盾にある。

SANAA設計の新生美術館は延床面積12,809㎡で本体工事費約47億円だった。現在の新計画は延床面積約12,000〜12,500㎡(既存改修+増築)で概算事業費約100億円。つまり、ほぼ同等かやや小さい規模の施設を、倍以上の費用で整備することになる。建設費の高騰(2017年→2032年で建設物価指数は概ね1.5〜2倍に上昇)を差し引いても、世界的建築家の設計を破棄した代償は大きい。さらに暫定改修の約11億円を加えると、累計投資額は111億円超に達する。

 

金沢21世紀美術館との対比はさらに厳しい。金沢は総事業費約135億円(用地取得等を含めると約200億円)で美術館部分の延床面積17,069㎡を実現し、開館当初から年間150万人前後、ピーク時(2018年度)には258万人が来館している。滋賀県立美術館の2022年度来館者数はわずか72,523人。仮に100億円の投資で来館者が倍増しても15万人程度にとどまり、金沢の10分の1以下である。

 

比較項目

金沢21世紀美術館

滋賀県立美術館(新計画)

設計者

SANAA

未定(2026年度選定)

総事業費

約135億円(用地含む約200億円)

約100億円(増築+既存改修)

延床面積

17,069㎡(美術館部分)

約12,000〜12,500㎡

立地

金沢市街地中心部

大津市郊外(びわこ文化公園内)

年間来館者

150〜258万人

約7万人(2022年度)

㎡あたり単価

約7.9万円/㎡

約8.0〜8.3万円/㎡

 

近年完成した他の公立美術館と比べても、大阪中之島美術館(2022年開館、総施設整備費約156億円、延床面積20,012㎡、設計:遠藤克彦)、富山県美術館(2017年開館、総工費約85億円、延床面積14,990㎡、設計:内藤廣)と並べると、滋賀の100億円は面積あたりの単価が割高に見える。既存建物の改修は新築より単価が上がる傾向があるとはいえ、費用対効果の説明は容易ではない。

 

建築界からは、SANAA設計の破棄そのものへの批判がある。architecturephoto.netは凍結を速報で報じつつ、同時期に滋賀県が国体関連施設に数百億円を投入していることを批判的に紹介していた。47億円の美術館は凍結しながら国体施設には巨額投資するという優先順位への疑問である。また、三日月知事が「館長が決まらなかった」ことを断念理由の一つに挙げている点は、行政のプロジェクトマネジメントの問題として指摘される。館長不在のまま実施設計と入札まで進めた組織体制に根本的な課題があった。

 

 

結論――「立ち止まり」が生んだ15年と100億円の代償

 

この事例が示すのは、コスト上限の硬直的な設定がかえって総コストを膨張させるパラドックスである。47億円の天井に固執して2017年の入札不調に対応できず、SANAA設計を手放した結果、暫定改修11億円と新計画100億円の合計111億円超という帰結に至った。仮に2017〜2018年の時点で47億円の上限を60〜70億円に引き上げてSANAA案を実現していれば、世界的建築家の美術館が2020年代前半には開館。金沢は大きな観光地が近くにある等、条件は違うとはいえ。集客効果、すなわち滋賀の観光産業も大きく異なっていた可能性がある。

 

琵琶湖文化館の仏教美術品は、新生美術館構想から切り離され、大津市浜大津に別途「新・琵琶湖文化館」(隈研吾設計、2027年12月開館予定)として整備される方向になった。当初の「三つの美」一体構想は完全に解体された。

 

新計画は2032年度末の再開館を目指すが、2017年の休館から数えると実に15年間、滋賀県唯一の公立美術館が本来あるべき姿で機能しないことになる。金沢21世紀美術館がわずか5年で構想から開館に至ったのとは対照的である。100億円という巨費が投じられる以上、設計者選定から運営計画まで、今後も県民に不利益をもたらさない意思決定が求められる。


 

全体時系列

年月

出来事

2008年3月

琵琶湖文化館が休館、仏教美術品の行き場が課題に

2012年

嘉田由紀子知事のもと「新生美術館」構想が始動

2013年12月

新生美術館基本計画を策定

2014年7月

三日月大造が滋賀県知事に就任、構想を継承

2014年

設計者選定プロポーザル開始、13者応募→5者が二次審査へ

2015年2月27日

第二次審査(公開プレゼン)実施。県民アンケートではSANAAは4位

2015年3月17日

SANAAが最優秀提案者に選定、3月中に契約締結

2015〜2016年頃

三日月知事が県議会に本体工事費「47億円以内」を約束

2017年4月1日

近代美術館が長期休館

2017年5月31日

建築工事の一般競争入札を公告

2017年8月28日

入札不落(全応札が予定価格超過)

2017年9月25日

県議会で知事が不落について答弁

2018年6月29日

設計見直し案を公表(規模縮小等)→なお47億円に収まらず

2018年7月25日

三日月知事が県議会で計画凍結を表明

2018年11月29日

県議会で「三つの美」一体整備の正式断念を表明、SANAA設計を事実上破棄

2018年12月11日

「新生美術館」名称も見直しを発表

2020年3月

老朽化対策改修工事着工(工事費約11億円

2021年1月1日

保坂健二朗がディレクター(館長)に就任

2021年4月1日

名称を「滋賀県立美術館」に変更

2021年6月27日

リニューアルオープン

2023年7月〜12月

美術館魅力向上検討部会(有識者会議)で議論

2024年3月

「滋賀県立美術館魅力向上ビジョン」策定

2024年度

整備基本計画策定支援業務で日建設計を選定(契約額1,054万9,000円)

2025年3月

整備基本計画骨子をとりまとめ

2025年12月23日

整備基本計画(素案)公表、パブリックコメント実施

2026年度(予定)

設計着手(設計者を別途選定)

2029年度(予定)

一時休館・工事着手

2032年度末(予定)

再開館(概算事業費約100億円)


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